西極楽寺住職ブログ
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人間は世間体を気にする生き物です。ファッションも流行遅れになっていないか神経を使ったり、見栄を張ったりして、他者からどう見られているかを気にするのです。他者からの視線を気にする中で、自分がしたことを他者に見られて恥ずかしいと思うこともあります。これは私たち人間だけが持っている感情だと思うのです。
この「人間だけ」に着目して、「人間だけ」を大切にすることは、人間に生まれて、人間として生きていることを喜ぶことなると思うのです。他者に対して自分の言動を「恥ずかしい」と思うからこそ、次に同じような状況になったときに、同じ言動をするのは「恥ずかしい」ことだから止めておこうと思うのです。残念ながら、同じ失敗を繰り返すこともあるのが人間ですから、いつも上手くいくとは限りません。人間の欲望というのは、そんなに簡単にコントロールできないのですから。それでも「恥ずかしい」という気持ちを大切にして生きたいと思っています。
また他者に対して恥ずかしいという思いがあるからこそ、「他者に見られないようにすればいい」とか、「他者にばれないようにしよう」と考えることもあるのです。こういうときに大切になるのは、他者を人間に限定しないということです。他者という言葉の中に、仏様や極楽で菩薩と成っているご先祖さまを入れるのです。仏様やご先祖さまはいつも私たちを見守ってくれています。毎日仏壇の前やお寺にお参りをして、仏様やご先祖さまの見守りを感じることで、仏様やご先祖様に見られて恥ずかしい言動を少しでも慎んで生きよう、自分に出来る範囲で頑張ってみようという心につながるのです。欲望をもった私には「少しでも」とか「出来る範囲で」が現実的に目指せるところです。その言葉に甘えすぎないようにしながら、「少しでも」「出来る範囲で」毎日精進したいと思います。こんな生き方が出来る人間として生まれたのですから。