西極楽寺住職ブログ
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知らない場所に行くとき、あなたはどうやって行きますか?
少し前の時代であれば、行き方を知っている人に聞いて教えてもらうか、地図で調べるなどをした後に、電車で行くか、車でいくか、歩いていくかの方法を検討して、目的地に向かったのではないでしょうか。
現代社会では、車で行くなら便利なカーナビがありますし、スマホでもナビゲーションのアプリがありますので、事前に交通手段や所要時間を調べてから出発するので、行き方を知っている人に教えてもらうことは減ったかもしれません。時には外出先でスマホの充電が切れて、頼りにしていたナビ機能が使えないこともあるので、そんな時には勇気をもって見知らぬ人に聞くしかありません。
知らぬ道 知ったフリして 迷うより 聞いてゆくのが 真の近道
この歌が詠まれたのは、カーナビなどが無かった時代のことですが、現代にも通じる歌だと思います。「聞くは一時の恥」と言われるように、聞くことを恥ずかしいと思って知ったフリをしてしまうこともありますが、そうすることで結果的に道に迷ってしまって、目的地に着くのが大幅に遅れてしまう(着かないこともアリ。)のです。このことは道案内だけでなく、仕事などの人生の様々な場面でもある話です。
私たちは生まれた時には何も知りません。初めて見る物のことについて、周りの人に教えてもらって知ることで、様々な知識を身につけてきました。知らないことをすでに知っている人に聞いてきたのです。だから、知らないことを知った人に聞くのは恥ずかしいことではないはずなのですが、つい自分のプライドが邪魔をしたり、「こんなことを聞いたら馬鹿にされるのでは・・・」と思うことで、知ったフリをしてしまうのです。知らないことは「素直に聞いて教えていただく」謙虚さと、教えていただいたことに対する感謝の気持ちを大切にしたいものです。
さて、人生には必ず死が待っています。「大切な私が死んだ後、どういう世界にいくのか」 について、間違いのない信仰をお持ちでしょうか?私は極楽浄土に往くことをお勧めいたします。
お釈迦様という仏様が
「西方に十万億の浄土を過ぎたところに極楽浄土という世界がある」
「極楽浄土には阿弥陀仏という仏様がいる」
「南無阿弥陀仏と唱えれば阿弥陀仏が極楽浄土へ迎えとってくれる」
と教えてくださっています。目的地(極楽浄土)・頼るべき方(阿弥陀仏)・手段(お念仏)を教えてくださったのです。
極楽浄土・阿弥陀仏の存在やお念仏については、知っている仏様(=お釈迦様)に聞くしかありません。いま、お釈迦様はこの世におられませんが、お釈迦様が弟子たちに話されたことがお経として伝えられていますので、お経を通して知ることができるのです。いくら人生経験を重ねても、極楽の存在を自然と知ることはできません。だからこそ、お釈迦様の教えを説く場であるお寺にお越しいただき、法話を聞いていただきたいのです。まずは知ることから初めてみませんか。
お念仏を唱えて生きる人が命を終える時には、阿弥陀仏は直々にお迎えに来てくださるのですから、絶対に迷うことはありません。阿弥陀仏のお迎えにより臨終の苦しみが無くなり、安らかな最期を迎えたと思ったら、一瞬にして極楽に往生するのです。近道どころか一瞬です。
そのためには、毎日お念仏を唱えることが必要です。お念仏とは南無阿弥陀仏と唱えることであり、南無とは「極楽へ助けてください」という願いです。阿弥陀仏にお願いするから、「南無(極楽へ助けてください)+阿弥陀仏(助けてくださる仏様)」と唱えるのです。
最高の道案内をして教えてくださったのがお釈迦様、迷わぬように臨終を見計らって迎えに来て極楽へ救ってくださるのが阿弥陀仏です。西極楽寺の各種法要にお参りいただき、じっくりと法話を聞いて、ご一緒にお念仏を唱えてみませんか。
あなたのお参りを御本尊である阿弥陀仏と一緒にお待ちしております。 南無阿弥陀仏