西極楽寺住職ブログ
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わたしは保育園の副園長(兵庫区にある宝地院というお寺の境内にある保育園)をしていますが、朝の挨拶をしない園児が多いことに気づいたので、年長児に「朝おきた時にお父さんやお母さんに『おはよう』って挨拶する人?」と質問したことがあります。すると手を挙げた子どもは30人中10人ほどでした。家庭で挨拶の習慣が無ければ、保育園に来て先生と挨拶する習慣も付きません。「ご家庭で挨拶の習慣を」と呼びかけるきっかけになりました。
善いことをすれば、その事が経験となり、同じような状況で善いことをしやすくなります。たとえば初めて電車で高齢者に席を譲るときは勇気がいるものです。しかし席を譲って「有難う」と感謝してもらった経験をもつ人は、譲るためらいが少なくなります。この経験を重ねると、ためらうことなく自然と「どうぞ」と席を譲ることができるのです。
佛教では、仏様に手を合わせることを善い習慣とします。保育園児は園内に祀る仏様に手を合わせる習慣がついていますから、祖父母の家に行ったら、まず仏壇の前に座って合掌するのです。私は、仏様の前で手を合わせる時には自然と自分の心の乱れを感じます。欲張りの心・イライラと腹を立てる心・自分中心の心など、煩悩だらけの自分に気づくことがあります。これらの煩悩が、言葉や行動という形で表面化してしまえば、他者を傷つけたり苦しめたりするのです。煩悩があると自覚して、言動を抑制することに繋がることがありますから、是非とも合掌の習慣をつけていただきたいです。
また合掌するだけではなく、お念仏を毎日称えることも習慣づけていただきたいです。煩悩をもった人を必ず救うのが阿弥陀仏という仏様です。その阿弥陀仏に対して「どうぞ私を極楽へ迎えてください」と願って「南無阿弥陀仏」と唱えるのがお念仏です。いつどんな形でどんな縁で命を終えることになるか、分からないのが私たちです。このことは、30年前の阪神・淡路大震災、14年前の東日本大震災、1年前の能登半島地震を始めとして多くの実例を目の当たりにし、多くの苦しむ方を見てきたはずです。今までは自分以外の方が亡くなる番でしたが、必ず来るのが自分の死です。お念仏を毎日習慣づけて唱えている人は、いつどこでいかなる形で死を迎えても阿弥陀仏がお迎えに来て、死の苦しみを取り、極楽浄土へと必ず迎え取ってくださるのです。
合掌・お念仏を善い習慣にするために、まずは今日、仏様に手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と唱えましょう。