西極楽寺住職ブログ
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仕事や家事、育児など日常生活に追われて生活している方も多いと思います。日常の忙しさにより、毎日が何気なく過ぎてしまうこともあります。何気なく過ぎていくということは、自分の命が続いているという証拠ですから、有難いことではあります。
しかし、私たちの命は、いつ・どこで・どんな縁によって終えるか分からないのですから、明日を迎えることができない命かもしれないのです。ですから、今日という一日を自分の一生と受け止めて生きるのです。その日に出会った人との時間を大切に生きることができたなら、本当に尊い一日となるでしょう。
ところが、日常生活に追われて、生きること・明日が来ることが当たり前に感じて生きてしまうのですから、「今日という一日」を意識することが大切になります。たとえば私は毎朝、意識をする時間を持つことに決めています。毎朝意識すると決めたのに、ついつい忘れることもあります。お昼ごろに「あっ 朝は急いでいたので忘れてしまった」と思い出したなら、その時に意識をすればいいのです。毎朝「今日という一日の有難さを意識する」と決めることで、①忘れる②思い出す③意識するという流れができます。決めなければ、日常生活に終われて、大切な今日という一日の価値を見失う日々を送ることになるかもしれません。
有難い一日を積み重ねて、生きていきたいものです。大切な私の大切な命ですから。
私たちの心の中には煩悩があります。煩悩は文字通り「煩い悩みの種」になります。自らの煩悩で自らが悩み苦しむことになるのです。だから仏教では煩悩を無くしたり、抑えたり、少なくしたりすることを大切にするのです。
5月のブログでは「貪り(むさぼり)」を紹介しましたが、今月は沢山の種類がある煩悩の中で「瞋り(いかり)」について考えてみたいと思います。瞋りとは思い通りにならないときに出てくる「腹立ちの心」です。自分の思い通りにしたい、思いをもっと実現したいという「貪り」の心が出てしまうからこそ、思い通りにならない現実に直面したときに「腹立ち」の心が出てくるのです。「なぜうまくいかないのか」「なぜあいつは邪魔をするのか」「あいつさえいなければ、うまくいったのに」と腹が立つのです。
自分の腹立ちの心によって、たくさんのエネルギーを消費して心身ともに疲れることもありますし、相手に腹を立てたり、第三者にあたってしまうこともあります。そうやって自分にも他人にもイヤな思いをさせて不幸にしてしまうのが、瞋り(腹立ちの心)という煩悩です。
腹を立てて怒っている時は、心の中に止まらず、表情に出てしまうものです。顔が真っ赤になりますから、赤鬼のようです。
腹が立ったら鏡を見よ鬼の姿がタダで見られる
腹が立ったら、スマートホンや鏡を使って、自分の顔を見てみるのもいいでしょう。赤鬼のように恐ろしい顔をしている自分を見た時、少し冷静になれるかもしれません。
本当に腹が立ったときというのは、スマートホンや鏡を見る間もなく、瞋りの心が沸き上がり、自他ともにイヤな思いをさせてしまうものなのですが・・・。少しでも回数が減るようにしたいものです。