西極楽寺住職ブログ

雲香る

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2024年7月31日

2024年8月 伝道掲示

 私たちが生きていく中で多くの「ウソ」に出会い、だまされ、悩まされることがあります。他者の「ウソ」だけではなく、自分自身が「ウソ」をついてしまい、他者を苦しめることもあります。ふとついてしまった「ウソ」により、さらなる「ウソ」をつかなくてはならないこともあり、後悔することもあります。

 現代社会は情報があふれていて、多くの「ウソ」に振り回されてしまう事もあります。大地震が発生したときなど、大きなパニック状態にあるときでさえ、とんでもない「ウソ」の情報を流して、さらなる混乱を生み、喜んでいる人もいるのですから、恐ろしい社会です。しかし、そうした「ウソ」の情報を信じてしまい、親切心から御縁のある方に教えて、自分も「ウソ」をつくこともあるのですから、注意が必要です。

 「ウソ」の多い世の中で間違いなく「真実」であると言い切れるのは「死ぬこと」です。命あるものは必ず死を迎えます。いつ・どこで・どのような縁で死を迎えるかは分かりません。年齢・性別・地位など、一切考慮することなく、死は訪れるのです。必ず訪れる死であるからこそ、背を向けずに向き合ってみることも大切です。

 「わたしは終活を始めました」という方が増えてきました。死という人生の終わりを考えることは大切なことです。死と向き合うことで、生きている今がより充実してくるし、有難いと思えるからです。終活の内容をお聞かせいただくと、荷物を断捨離したり、仏壇や墓じまいをしたり、エンディングノートを書いたりなど・・・。大切なことが欠けているなぁと思うことも多いのです。それは「死=エンディング」までしか考えていらっしゃらないからです。死の先にも思いを至らせることこそが終活(次の生の始まりということからすれば「始活」と言ってもいいかもしれません)として大切だと思うのです。

 「始活」のヒントとなるのは、お念仏(南無阿弥陀佛と唱えること)の教えです。偽り多き世の中で「死」は誰にも必ず訪れる真実ですが、お念仏に御縁のある方は、阿弥陀仏のお迎えを受けて、極楽浄土に往生することができることも真実です。人間の約束ではなく、阿弥陀仏という仏様の約束ですから、真実なのです。極楽浄土に往生すれば菩薩と成り、残された方を見守ることもできる。阿弥陀仏の御指導により修行を重ねて仏様に成ることができる。苦しんでいる方を救う働きができる。お念仏に御縁のある方の死の先には、そういう世界が待っているのです。

 私は僧侶として、多くの方の死の場面に遭遇してきました。また一人の人間として、父の死(父が58歳、私が14歳のとき)という悲しみも味わってきました。しかし、お念仏に御縁のある方は、必ず極楽に迎え取られているのです。そして遺された私たちを見守ってくれているのです。そして私もいずれ極楽に往くのです。その為には毎日「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えることが大切なのです。

 まだまだ、この世でやりたいことはたくさんあります。まだまだ死にたくありませんが・・・。

お念仏の唱え方が分からない方はご遠慮なくお寺までご連絡ください。あなたのお念仏を極楽の仏・菩薩が楽しみにしておられます。

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