西極楽寺住職ブログ
BLOG
人生には別れがつきものです。大切な人と別れなければならないとき、とても悲しい思いをします。大切な人であるからこそ「別れたくない」という思いが生じるので、別れなければならない現実に直面したときに苦しみを感じるのです。
大切な人と別れる苦しみを避けるには、大切な人を作らないという方法があります。山の中で一人籠って誰とも会わない一生を過ごせば、大切な人を作ることもありませんから、別れる苦しみもないのです。しかし、その生き方は寂しいことでもありますし、なかなかできるものではありません。
いつまでも一緒にいたいという思いは大切にしたいものですが、命があるものは必ず死を迎えますから、別れを避けることはできないのです。「大切な人の死」または「自分の死」で別れるときは必ずやってきます。しかし、この別れには2種類あります。「永遠の別れ」と「ひと時の別れ」です。
私たちは死を迎えたその先に、次の世界に生まれ変わっていきます。その世界で人間として生きていた頃のことを覚えているのであれば、大切な方のことも覚えているのでしょうが、残念ながら忘れてしまう(隔生即生といいます。)のです。人間として生まれる前の世のことを忘れているようにです。だから、もしも同じ世界に生まれ変わったとしても、再会を喜ぶことはできません。忘れているのですから。まして、Aさんの行いの結果で次に生まれ変わる世界が決まり、Bさんの行いの結果で次の世界が決まりますから、AさんとBさんが同じ世界に生まれ変わることすら難しいのです。この世での別れは「永遠の別れ」と言えるのです。
しかし・・・。もしAさんがお念仏を唱える方であれば、Aさんの臨終間際に阿弥陀仏がお迎えに来てくださり、二度と苦しむことのない極楽浄土に往生することができます。お念仏とは「南無阿弥陀仏」と声に出して唱えることです。「南無」とは「極楽浄土へ迎えとってください。助けてください。」という願いであり、阿弥陀仏にお願いするから、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・」と唱えるのです。このお念仏を唱える者は必ず極楽浄土へ迎えとられるのです。だから、もしBさんもお念仏を唱える方であれば、Bさんも後の世は極楽浄土に生まれるのです。「Aさんの死」または「Bさんの死」で大切なお互いが、別れる時は残念ながら必ず来てしまうのですが、その別れは「ひと時の別れ」であり、ともに極楽浄土に生まれて、再会を果たすことができるのです。
極楽浄土は過去世(極楽に生まれた時の過去、つまり人間として生きていたときのこと。)のことをしっかりと覚えている世界ですから、再会を喜ぶことができます。ただ再会を喜ぶだけではなく、極楽浄土で共に修行を重ねて、共に仏様と成り、共に苦しんでいる方々を救う働きができる。それが極楽浄土です。
私は家族と唱えるお念仏の時間に本当に幸せを感じます。この世で家族として過ごしたご縁を、この世だけで終わりにしたくありません。後の世以降、永遠に続くご縁にしたいので、家族にもお念仏を勧めています。そしてみんなで立派な仏様と成って、苦しんでいる人を救う働きをしたいと思っています。
今日もお念仏を唱えましょう。明日も命があればお念仏を唱えましょう。明後日も・・・明明後日も・・・。
お念仏 唱える人こそ たのもしき 後の世までの 仲と覚えば