西極楽寺住職ブログ
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7月の伝道掲示では、「人間は世間体を気にする生き物であり、他者からどう見られているかを気にする中で、自分がしたことを他者に見られて恥ずかしいと思う生物である」ことをお伝えしました。私たち人間だけが持っている感情です。
この「恥ずかしい」と思う感情は、「他者に見られて恥ずかしい」時だけではなく、他者に見られていなくても「自分に対して恥ずかしい」時にも生じます。感情のままにした自分の言動を、冷静さを取り戻した後に思い返したときに、「何と愚かなことをして(言って)しまったんだ」という後悔に変わります。そして「なぜ気づかなかったんだろう」「また同じことをしてしまったじゃないか」などの、「自分に対する恥ずかしさ」を味わうこともあるのではないでしょうか。たとえ周りにいる他者に見られていなくても、自分の生き方に恥ずかしさを感じて反省や後悔をするのです。その原因は、心に生じる煩悩です。他者の煩悩を見た時には「あんなことで腹を立てなくてもいいのに。気の短い人やなぁ」「あの人は欲を出しすぎや。歩むべき道を見失ってるわ」などと思うものですが、自分の煩悩は自分自身では気づきにくいものです。
だからこそ、後になって「自分に対して恥ずかしい」と思うことがあるのです。愚かなことではありますが、この感情を持てるのも人間だけでありましょう。もし「自分に対して恥ずかしい」と思ったならば、しっかりと反省して、欲張りすぎない生き方を心がけることができるのも、わたしたち人間だけではないでしょうか。
人間にしか持てない「恥ずかしい」という感情を大切に、一日一日を生きていきたいと思っています。