西極楽寺住職ブログ

雲香る

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2024年11月1日

2024年11月 伝道掲示

 人生には楽しいことがたくさんあります。しかし、いくらお金があっても、いくら地位があっても、避けられない苦悩もあります。それが死です。命がある者にとって、死は必ずやってくるもので、避けることはできません。そして死はいつどのような形で訪れるか分からないのです。

 避けることが出来ない死を出来るだけ見つめない様に生きる方が多いです。その証拠に、死に関連することを「縁起でもない」と敬遠するのです。いくら敬遠したところで、避けることは出来ません。自分自身の死は未経験ですが、大切な方の死は経験したことがあるでしょう。先だった大切な方の死を通して、自分自身の死を見つめることも大切な事です。

 ある看護師さんから「終末期を迎えた患者から『私は死んだらどうなるんやろか?』と質問されることがある」とお聞きしました。死の後にどういう世界に生まれ変わるのかという疑問は、命ある者の究極的な問いなのでしょう。私はご依頼があれば病院や施設に行って、人生の終わりを迎える方に「お釈迦様が教えてくださった答え」をお話しすることがあります。本当は体が元気で動ける内に、西極楽寺に足を運んで頂いて、その答えを聞いて、しっかりと解決して生きることが大切です。もしそれが叶わなかった人の為には、病院でも施設でもご自宅でも参らせていただきます。

 死んだ後にお葬式をするのも、僧侶にとって大切な仕事ですが。生きている内に人生を見つめ、死を見つめ、死の後のことをしっかりと解決していただくのも僧侶の大きな役割なのです。

 お釈迦様は「極楽浄土に生れたいと願って、南無阿弥陀佛と唱える人が臨終を迎える時に阿弥陀仏がたくさんの菩薩を連れてお迎えに来てくださる。」と教えてくださいます。阿弥陀仏やたくさんの菩薩の来迎により、苦しみが取り除かれて安らかな心地の中で息を引き取り、極楽浄土へ迎え取られていくのです。

 その極楽浄土は一切の苦しみがなく、安らぎや楽しみのみを受ける世界なのです。私たちが精一杯この世を生き抜いた先には、極楽という安らかな世界が待っているのです。明るい未来があると信じて生きることは、この世を生き抜く力になります。信仰が無ければ、明るい未来を見すえることはできません。必ずやってくる死という真っ暗闇に向かって生きることになります。そういう人は、死を見ない様に、向き合わないようにして生きるしかないのです。そして、「いよいよ」という時には「自分はどうなるのだろうか?」という恐怖が襲ってくるのです。

 このブログを読まれた方は、いまがチャンスです。しっかりと信仰をもって、力強くこの世を生き抜いていただきたいと思います。阿弥陀仏は「極楽に生れたい」と願って、南無阿弥陀佛と唱える人を必ず迎え取ってくださるのですから。

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